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公園・城・資料館など ブログトップ
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姿見の池にて [公園・城・資料館など]

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小石川後楽園でうめぇ [公園・城・資料館など]

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先週梅見に、白い大きな東京ドームのおとなりの、都会のオアシス小石川後楽園に行ってきたでござル。桜はまだまだでしたが、梅は満開!絶好の梅日和で訪れていた人も、多多々。とはいえ狭い地下道や百貨店ではないので、広々のんびり和むねえ。ここは本当に広くて隅々まで見るのは、たまあに。お弁当持参で来てベンチでほんわか花見弁当も良いですが、たいがい、隣の飯田橋までちょちょいと歩き、神楽坂で昼日中からお酒を呑んでまどろむ午後が何より。

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やっぱ桜より梅が好き!

タグ:文京区
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駒形橋 [公園・城・資料館など]

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隅田川に架かる橋
大正15年(1926)起工
昭和4年(1929)完成
 駒形橋は、関東大震災後の復興事業として架けられた橋である。橋の名は西詰北側に建っている駒形堂にちなむ。昭和2年(1927)に書かれた芥川龍之介の小品『本所両国』には「『あの橋は今度出来る駒形橋ですね?』/O君は生憎僕の問に答えることは出来なかった。駒形は僕の小学時代には大抵『コマカタ』と呼んでいたものである。」というくだりがある。
 橋は大正15年(1926)9月に起工、昭和4年(1929)9月に完成している。およそ70年を経たいま、太い石造の橋脚が風格を感じさせる。川の上にブルーのアーチが美しい曲線を描いている。
北村肇(編)『東京文化財の旅- I 』毎日新聞社,1999,p108.

タグ:台東区
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吾妻橋 [公園・城・資料館など]

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江戸時代(安永3年(1774))から
隅田川に架かる5つの橋の1つ
現在の橋は昭和3年(1928)完成
隅田川で最初の鉄橋
 吾妻橋の西のたもとは町名でいえば花川戸である。橋が架かるまでは竹町の渡しがあったところ。花川戸と墨田区を結ぶ吾妻橋は、古くは大川橋が正式の名であった。隅田川もこの橋あたりから下流は大川と呼ばれることが多かった。
 『御府内備考』に「『浅草志』云、大川橋は花川戸町より本所中の郷竹町へわたす。……掛渡しの発起は花川戸町伊右衛門というものなり」と記される。安永3年(1774)のことで、町人によって私橋として架けられたものだった。維持するために橋銭を徴収していた。吾妻橋は俗称であったが、完成当時から江戸町民は吾妻橋と呼ぶことが多かったという。
 流失、架け替えを繰り返し、明治8年(1875)の架け替えの際、吾妻橋が正式の名となった。明治20年(1887)には鉄橋に変わる。これは隅田川で最初の鉄橋であったが、関東大震災で板張りの床が焼け落ち大きな被害を受けた。現在の橋は昭和3年(1928)に完成したものである。
北村肇(編)『東京文化財の旅- I 』毎日新聞社,1999,pp107-108.

タグ:台東区
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姥(うば)ヶ池 [公園・城・資料館など]

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これ以上近付けない、怖いよ~
花川戸公園内
 浅草寺の二天門から馬道(うまみち)通りを横切ってまっすぐ東へ進むと花川戸公園がある。この公園のあたりに昔、姥ヶ池という隅田川に通じる大池があった。この姥ヶ池にまつわる伝説によって、ここは都の旧跡に指定されている。
 荒れ野の一軒家に住む老婆が、奥州往来の旅人を泊め、娘に夜伽(よとぎ)をさせているすきに旅人を石の枕で殺しては金品を奪っていた。ある夜、若い旅人が一夜の宿を乞う。老婆は若者を石で打ち殺すが、実は罪の深さを恥じた娘が身がわりになったものであることを知る。老婆は嘆き悲しみ悪業を悔いて池に身を投げる……。若者は観音の化身ともいわれ、伝説は観音信仰にかかわるものである。老婆の身を投げた池が、ここにあった姥ヶ池であるといわれ、公園の一角には「姥池乃旧跡」碑が建っている。
北村肇(編)『東京文化財の旅- I 』毎日新聞社,1999,p107.

タグ:台東区
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奥山 [公園・城・資料館など]

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浅草寺 境内
 「浅草奥山」といえば、江戸時代には見世物小屋から大道芸までを集めた浅草の一大娯楽地帯だった。いま境内にそのにぎわいはないが、境内から西参道へ進む手前、かつての奥山のあたりに小公園がある。淡島堂の右側の位置である。ここに数多くの石碑が建っている。
北村肇(編)『東京文化財の旅- I 』毎日新聞社,1999,p105.
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タグ:台東区
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石橋(石造階) [公園・城・資料館など]

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浅草東照宮(焼失)の神橋
浅草寺 境内
元和4年(1618)建造
都内最古の石橋
石橋(しゃっきょう)
 現存する都内最古とされる石橋は、元和4年(1618)浅草寺に東照宮(現存せず)が造営された際、参詣のための神橋として造られたものである。寄進者は、徳川家康の娘振姫(ふりひめ)の婿、紀伊国和歌山藩主浅野長晟(広島浅野家藩祖)である。
 この石橋は昭和23年(1948)、文部省より重要美術品に認定されている
金龍山 浅草寺
 本堂の西側に小さな池があり、この池に石造階(せきぞうかい)といわれる石橋が架かっている。元和4年(1618)の建造とされ、かつてこの付近にあった東照宮への神橋であった。寛永19年(1642)東照宮は火事で焼失したが、その時焼け残った貴重なもので、今は文化財保護の立場から通行を禁じられている。
北村肇(編)『東京文化財の旅- I 』毎日新聞社,1999,p103.
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タグ:台東区
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新大橋 [公園・城・資料館など]

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「大はしあたけの夕立」
歌川広重『名所江戸百景』

隅田川に架かる橋
元禄6年(1693)架橋
現在の橋は昭和51年(1976)竣工
隅田川で3番目に古い橋

タグ:江東区
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清洲橋 [公園・城・資料館など]

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隅田川に架かる橋
清澄(江東区)と中洲(中央区)を結ぶ
ライン川(ドイツ)の橋がモデル
昭和3年(1928)完成

タグ:江東区
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小名木川 [公園・城・資料館など]

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川船番所跡

 小名木川は最初「塩の道」としてつくられた。家康は江戸入り後すぐに、行徳(千葉県市川市)で産する塩を江戸に運ぶためにこの水路を開かせている。慶長年間(1596~1614)には小名木四郎兵衛に命じて本格的に工事に取り組み、隅田川と旧中川を東西に結ぶ水路とした。隅田川との合流付近に船番所を設け(のち旧中川との合流点に移転)、通航する船舶を監視した。やがて塩だけでなく東北地方の米や関東各地の諸物資を、利根川や江戸川経由で江戸の中心に運ぶ重要な水路となった。
北村肇(編)『東京文化財の旅- I 』毎日新聞社,1999,p132.
 小名木川の名称の由来も諸説あり、小名木四郎兵衛の姓をとった説、うなぎがよくとれたのでうなぎ川といわれたのがなまった説、また、女木山谷(おなぎさや)が小名木沢になった説などがあります。
『史跡をたずねて ー第四版ー』江東区,2007,pp356-357.

タグ:江東区
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