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小名木川 [公園・城・資料館など]
川船番所跡
小名木川は最初「塩の道」としてつくられた。家康は江戸入り後すぐに、行徳(千葉県市川市)で産する塩を江戸に運ぶためにこの水路を開かせている。慶長年間(1596~1614)には小名木四郎兵衛に命じて本格的に工事に取り組み、隅田川と旧中川を東西に結ぶ水路とした。隅田川との合流付近に船番所を設け(のち旧中川との合流点に移転)、通航する船舶を監視した。やがて塩だけでなく東北地方の米や関東各地の諸物資を、利根川や江戸川経由で江戸の中心に運ぶ重要な水路となった。北村肇(編)『東京文化財の旅- I 』毎日新聞社,1999,p132.
小名木川の名称の由来も諸説あり、小名木四郎兵衛の姓をとった説、うなぎがよくとれたのでうなぎ川といわれたのがなまった説、また、女木山谷(おなぎさや)が小名木沢になった説などがあります。『史跡をたずねて ー第四版ー』江東区,2007,pp356-357.
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